同じ環境、経験を持つ人は誰一人としていない。
ちょっと今日は批判やら覚悟で書きたいと思います。
まぁ、批判覚悟で書いた方が本音の文章ですから真実なんですけどね。
よく、『黒いノリ』とか言いますが、黒いノリって何なのか?
黒人さんのようなノリってことですよね、きっと。
僕らは日本人ですから、黒いノリは出せないと思うんですね。
黒っぽいノリは出せるかもしれませんが、黒いノリは出ない。
KRUMPもKRUMPっぽいことはできるかもしれませんが、オリジネーターのようなKRUMPは出来ないでしょう。
育った国もDNAも日本なのですから、黒人の環境、DNAの動きを真似したところで到底、真似しきれるものではありません。
じゃあ、どうするんだよ!という事になりますが、真似をするなって事ではないんですね。
所詮人にオリジナルは無いのですから、いろんなものを取り入れて自分のものにすればいい。
『それ、普通にみんなそうじゃないの?』ってなるわけですけど、みんな自分を置いてきてしまう。
自分の年齢、経験、体躯、環境、知識、性別等を加味して自分のモノにすることを考えない。
モノマネアーティスト(もう芸人というレベルではないと思うので)のコロッケさんは似ているかどうかというレベルではなく、コロッケさんの芸術の域に入っていると思うんですね。
勿論、五木ヒロシや松山千春、志村けん等のモノマネが出来て始めて成立するわけですが、もはやオリジナル。
逆にものすごい似ている芸人さんも居ます。
しかし、オリジナルが無い、という風にも見えます。
しかし、どうでしょうか?
今のアーティストって、掘り起こしてみると誰かの音楽に似ていたり、歌い方も似ていませんか?
自分の感性や経験、環境をプラスして自分のモノにしていると思います。
全ての人が野球をやっているわけでもないし、サッカーをやってきたわけでもない。
武術が好きな人もいるし、山登りが好きな人もいる。
逆に大嫌いな人もいる。
全く同じ人はいないのですから、それを表現するだけの話です。
振りがなかなか覚えられない子は一つの動きを良くしようと考えるので、後々ものすごく伸びる。
振り覚えの良い子はどんどん吸収できる。家に帰っても振りの練習をしやすい。
考え方一つですが、結局、その後の練習にかかってくるわけです。
つまり、磨くかどうか。
向いてるか向いていないかなんて、実際はどうでもいいのです。
仕事もそうですが、やる前から向いてる向いていないを考えるのは愚の骨頂。
ダンスで、『なんでもやってみよう』と思える意識が常時備わるようになればいいい、そう考えています。
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